2009年7月4日土曜日

老バーテンダー。


最近来た葉書のなかで、印象に残る1枚がある。24年ほどつきあいのある、老バーテンダーからだ。仮にU氏としておこう。社会人になって、ホテルオークラのバーでマティーニを飲む習慣がついた。カウンターに座り、1杯か2杯飲んで、あとは無料のピーナッツと柿の種を小皿で何回か、おかわりし、最後に水を1杯飲んで帰る。しょっちゅう行くので、常連になってしまい、そこのバーテンダーさん全員と懇意になっていた。酒とバラの日々。
入社4年目の夏、当時いた新宿支店から仙台支店への異動の辞令が出た。
「こまったな」。いつものよーにバーに行き、ショボーンとその旨を伝えると、カウンターの中にいた鈴木国明バーテンダーが、その場で仙台ホテルに電話をしてくれた。これこれこーゆー人が行くから宜しく。短い電話だったよーに記憶している。
1週間後、私は仙台ホテルのバーのカウンターに坐っていた。そして、私に新しくマティーニをつくってくれることになったのが、U氏その人であった。1986年8月から1991年3月までの4年7ヶ月間、U氏から教わった酒のウンチクは、紛れもなく私の財産になっている。マティーニのベルモットが1滴でもいいのは何故なのか。パリジャンブロンドとプラチナブロンドの違い。シングルモルトのテイスティング。バースプーンの廻し方。ロンリコ、ズブロッカ、アクアビットなどの強めの酒の頂き方。時代がバブっていて、証券マンでもあった私はキャビアや牡蠣、テリーヌやスズキなどの美味しいものばかりを毎日食べていたよーに思う。マイカクテルグラスをホテルに特別に置かせてもらったり、古くなったミキシンググラスとストレーナーをご自宅用にと、進呈されたりで完全なVIP扱いだったな、今から思えば。
で、U氏は今、高齢になり、現在、東北大学医学部附属病院のお世話になり闘病中だという。先日、電話で話したとき、懐かしい声とともに、話が弾んだ。いろいろ大変でしょうが、ご自愛ください。また、逢えたらいいねー。

0 件のコメント:

コメントを投稿