2009年6月21日日曜日

次に生まれてきたときは。

河南省洛陽市出身の符国宇くんとはウマが合うので、いろんな話をする。ある時、次に生まれてきたとしたら、何人で生まれてきたいかって話になった。「豚はイヤだな」と彼。「3つの候補から選べっていわれたらどうする?」とおれ。「自分で決められないの?」と彼。「試験に落ちるみたいに、全部だめなこともある」とおれ。「インド人は?」と彼。「カレーばっかり食べるのイヤだ」とおれ。
生まれてきただけでも贅沢なことなのかもしれないと、自分では思っている。しかも、日本経済の黎明期を過ぎ、カラーテレビなどの三種の神器と一緒に育った1960年生まれであり、生活環境ってゆーか文化面でゆーと、日本の神戸という都市で最初の18年を過ごせたことは、奇跡に近いなと思う。間違ってオタマジャクシに生まれてきたとしたら、せいぜい半径1kmぐらいの生活圏で、カエルに成長して一生を終える。そんな感じだったはずだ。
昨日、今日と全国各地で、一家心中が散見される。過去に照らしても、これほど多いってことはなかったように思う。八方塞がりってゆー状態は、東西南北とその間が全部塞がっていて、どこにも行けない状態を表しているけど、仏教界には十方とゆー概念があって、上と下に抜け道があるじゃんか、と教えている。万策尽きたと思っても、ゴルゴ13みたいな冷静さがあれば、危機は回避できるとゆーか、時間の経過と共に危機がチャンスに変わってたりしてねー。ともあれ、心中は曽根崎だけにしておいて欲しい。
次に生まれてくるとしたら、個人的にはフランスのアルザス地方とか、スコットランドのインバネスあたりか、カナダのバンクーバーでお願いしたいけど、希望は通らないだろうな。ぜひ人間がいいので、間違ってもハエとか毛虫とかは勘弁して下さい。

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