2009年3月22日日曜日

伏見扇太郎。


1991年頃、京都府の宮津支店に赴任していた。宮津という場所を判っている人が少ないとゆー前提で説明すると、「日本三景の天橋立」で有名な、ってことになる。京都府は日本海に面しており、西は兵庫県、東は福井県と言ったら余計に混乱するかもしれないなー。丹後ちりめんで名高い丹後半島の付け根に位置し、すぐ西隣が「岸壁の母」で知られる舞鶴でと解説してもイメージできそうな感じはなさそうねぃ。
で、その宮津市の歓楽街の寂びれようったら見事なほどなんだけど、うまい魚を食わせる店はあるし、昔、祇園で芸者さんだったお婆さんがやってるスナックとかはあって、奥行きの深い遊びの真髄をマスターするには格好の色街だったと記憶している。ある日の深夜、「ささ浪」とゆー寿司屋の大将に連れられて行ったスナック「コマンド」のママさんの店のカウンターでウイスキーを飲んでいたときのこと…。
「岩ちゃん、伏見扇太郎に似てるわぁー、歌舞伎役者の」と言われ、その後、その店に行く度に「伏見ちゃん!」と呼ばれ続けたので、流石にその名前は覚えてしまっていた。結局、宮津支店には2年6ヶ月いて、その後、静岡県の沼津支店、本店営業部と証券マンとしての歩みは続くのだが、伏見扇太郎には会えないままでいた。
ある日、当時担当していた浅草信用金庫(今は経営統合されて朝日信用金庫になってるよ)の役員にアポがとれ、為替とカントリーリスクと格付け機関の話をした帰り、「マルベル堂」とゆー写真が乱雑に並べてあるお店の前で足が止まった。そこは日本一のブロマイド屋さんだったのだ。高倉健、勝新太郎、大川橋蔵なんかの若い頃のブロマイドに混じって、ありました伏見扇太郎。少年時代のおれには似てるような気もするけど、いかがなもんでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿