2009年3月23日月曜日

アントニオ猪。

アントニオ猪木とジャイアント馬場の話は、いつかしなければならないと思っていた。そもそもプロレス界に興味を持ったのは、母方の祖母、上本ふさに影響を受けたからに他ならない。祖母は8人いる孫のうち特におれを可愛がり、神戸の新開地にあった松竹芸能に漫才を観に連れまわしたり、やたらと一緒にお風呂に入りたがった。大衆芸能に興味があり、人前でスピーチするとき未だに笑いをとりたがる傾向は幼少の頃から身に付いてしまって治らない。
で、本題。力道山に踏みつけられて這い上がったアントニオ猪木と、エリートコースを歩んだジャイアント馬場。祖母は猪木→藤波を好み、どちらかというと馬場→鶴田を忌み嫌った。アドリブというか個人の裁量が制限されにくい猪木のプロレスはルスカ、ウイリー・ウイリアムス、ムハマッド・アリ、アクラム・ペールワン、ローラン・ボック、アンドレ・ザ・ジャイアント戦へと進化していく。逆に、楽譜通り、規定のお約束を遵守させる馬場レスはレスラーを型に嵌めてしまう。16文キックに象徴されるあの動き(ロープに飛ばされたら素直に戻ってきて、馬場が水平に上げた右の足裏に顔面から当たっていかないといけない)などは、馬場を尊敬してないとできないもんな。ブッチャーはフォークを持ってリングに上がっていかねばならないし、シークはリング下で火を噴かないといけない。馬場は相手のレスラーを際立たせるために故意に3カウントされてあげることも多々あったよねー。一方の猪木は藤原喜明戦では平気で金的を狙ったし、ラッシャー木村やグレートアントニオを顔面蹴りで秒殺したり容赦しなかったもんなー。祖母はスカッと解りやすい猪木のプロレスを観て喜んでいた。 2008年末の泰葉の「回転海老名固め」を生前の祖母なら何と言うだろう?
ところで、上の写真は八重洲地下街にあるブロンズの猪クン。鼻を撫でると願い事がかなうというが、猪木イズムの継承者としてすべきことは、「元気があれば何でもできる、1,2,3、ダー!」と唱え、張り手を食らわせることかもしれない。

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